長野県の県庁所在地は「長野市」です。
国宝の本堂がある、善光寺で有名です。
長野県(都道府県コード20) | |
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県庁所在地 | 長野市(ながのし) |
庁名 | 長野県庁 |
郵便番号 | 〒380-8570 |
住所 | 長野県長野市南長野幅下692-2 (Googleマップ) |
アクセス | JR長野駅から徒歩15分 |
電話番号 | 026-232-0111(代表) |
公式サイト | 長野県庁 |
目次(もくじ)
県庁所在地は松本市から変わった?
明治時代の廃藩置県のころ(明治4年11月)、今の長野県は、北部の「長野県」と南部の「筑摩県」の2つに分かれていました。
このとき、長野県の県庁は今の長野市に、筑摩県の県庁は今の松本市(松本城二の丸御殿)に置かれていました。
しかし、明治9年に筑摩県の県庁は火事で全焼してしまいます。これを機会に、筑摩県は長野県に併合されて、長野県が1つにまとまったのです。
つまり、長野県の県庁所在地は松本市から変わったわけではなくて、「昔は長野県が2つに分かれていて、そのうちの1つの県庁が(今の)松本市に置かれていた」ということになりますね。
「長野県が1つにまとまった」と書きましたが、県庁を長野市・松本市どちらに置くかなどの議論(分県論・県庁移転論)は昭和の時代まで続きました。昭和23年の県議会で、今の長野県歌『信濃の国』の大合唱が湧き起こり、分県問題は消え去った…という話は有名です。テレビ「秘密のケンミンショー」などでも放送されていました
▲信濃の国4K映像(長野県公式YouTube)。歌とともに、歌に歌われる風景や特産物が流れます
長野県庁の歴史など【年表】 | |
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明治元年 (1868) | 伊那県が置かれる (県庁は現飯島町) |
明治3年 (1870) | 伊那県管下の北部6郡が中野県となる (県庁は現中野市) |
明治4年 (1871) | 中野県が長野県に改められる (県庁は現長野市へ移転) |
同7月 | 廃藩置県により14県となる |
同11月 | 北部8県が長野県に、南部6県が筑摩県に統合 (県庁は現長野市と現松本市) |
明治9年 (1876) | 筑摩県庁が火事で全焼する |
同8月 | 長野県と筑摩県が合県する (県庁は現長野市) |
さいごに【標高日本一】
長野県庁は「日本一高い場所にある県庁」です。
県庁が建っている場所の標高は371.5mほどで、2位の山梨県庁(甲府市)とは約100mの差があります。
順位 | 都道府県 | 県庁所在地 | 標高 |
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1 | 長野県 | 長野市 | 371.5m |
2 | 山梨県 | 甲府市 | 270.3m |
3 | 山形県 | 山形市 | 198.3m |
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45 | 青森県 | 青森市 | 2.6m |
46 | 神奈川県 | 横浜市 | 2.1m |
46 | 長崎県 | 長崎市 | 2.1m |
▲県庁所在地の標高ランキング
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参考URL
- 都道府県コード – 国土交通省
- 議会の沿革、県歌「信濃の国」 – 長野県
- 長野県誕生!-公文書・古文書から読みとく- – 長野県立歴史館
- 平成29年度夏季企画展「長野県誕生!―公文書・古文書から読みとく―」を開催して – 国立公文書館
- だいよんちく物語vol.2 – 長野市
- 松本城の歴史 – 松本市
- 本丸御殿跡・二の丸御殿跡 – 松本城
- 中野市の概要(沿革) – 中野市
- 町の歴史と歩み – 飯島町