12月16日は電話創業の日です。1890年(明治23年)のこの日、東京市内と横浜市内を結ぶ、日本初の電話事業が逓信ていしん省によって開始されました。
電話局(電話交換所)は、東京麹町区辰の口と横浜居留地233番館に設置され、創業時の加入者数は東京が155、横浜が42だったということです。


▲NTT広報室公式SNSより。部屋の隅に並ぶさまが何だかかわいいです

創業当時の電話のしくみがどんなものだったか気になりませんか? そこで今回は、当時の電話について楽しく学ぶことを目的に、以下の2本立てでお届けします。

  • 創業当時の電話のしくみ
  • 創業当時の電話料金

さっそく一緒に見ていきましょう!


創業当時の電話のしくみ

創業当時の電話は、通話相手に直接つながるわけではありませんでした。通話したい場合は、まず電話交換所に電話をつなぎ、交換手に通話相手を告げて、電話交換機に手動でつないでもらう必要があったのです。

オフィスビル内の交換台と交換手(米国、1975年)
▲電話交換手と電話交換機 via Wikimedia Commons Joseph A. Carr

具体例をあげてみましょう。あなたがAさんと昔の電話で話したい場合は、大まかに以下の流れをたどることになります。

あなた交換手
(電話交換所)
Aさん
受話器を取って、交換手からの応答を待つ
あなた用のジャック(差し込み口)にプラグを差し込み、応答する
交換手に「Aさんとつないでください」と伝える
対応するプラグをAさん用のジャックに差し込み、Aさんの電話を鳴らす
呼び出し音が鳴るので、受話器を取る
Aさんに、あなたから電話がかかってきたことを伝える
Aさんと通話する
→通話が終わったら、受話器を置く
あなたと通話する
→通話が終わったら、受話器を置く
ジャックからプラグを抜く

▲1回電話するだけで、多くの工程が絡んでいることがよく分かります

昔は発信先が電話交換所(交換手)だけだったためか、電話機にダイヤルはついていませんでした。なお、使われた電話機はガワーベル電話機と呼ばれるもので、ガワーが発明した送話機と、ベル電話機を組み合わせて作られたことから名付けられたと言われています。

サービスが始まった1890年、交換手は東京に11人(うち女性9人)、横浜に4人の合計15人でしたが、10年後には東京だけで女性330人、男性100人の交換手が働くようになったそうですよ。

八重洲町電話交換局
▲八重洲町電話交換局(1902年頃)via Wikimedia Commons public domain

創業当時の電話料金は?

気になる創業当時の電話料金は、市内通話が東京40円、横浜35円(ともに年額使用料)。市外通話が5分15銭となっていました。

同じ年の都立高校(府立旧制中学)の年額授業料が18円だったので、年額40円と聞くと、かなり高めに思えます。とはいえ、当時は個人で電話を持っている人は少なく、役所、新聞社、銀行などがおもな利用者でした。そう考えると、この値段も妥当なのかもしれません。大きなシステムを導入するイメージですね。

ぼく(なごやっくす)ぼく(なごやっくす)

電話創業の年・明治23年当時の、おもなモノやサービスの値段をまとめておきます。ちなみに1円=100銭です

当時のモノ・サービスの値段(明治23年)
電話
(市内通話年額)
40円(東京)
35円(横浜)
電話
(市外通話5分)
15銭
上野動物園入場料2銭
雑誌(中央公論)3銭5厘
味噌1kg4銭
理髪
(顔剃り含まず)
5銭
缶詰5銭(鮭水煮200g)
20銭(牛肉大和煮170g)
高級駅弁10銭
家庭用化粧石鹸12銭
英和辞典30銭
電球(十六燭光)1円
帝国ホテル1泊2円50銭
都立高校年額授業料
(府立旧制中学)
18円

【まとめ】内容をおさらい!

最後までご覧いただきありがとうございます。おさらいとして、今回の内容をまとめておきますね。

  • 12月16日は電話創業の日。明治23年のこの日、日本初の電話事業が開始された
  • 当時はまず電話交換局に電話し、交換手に手動で相手につないでもらう必要があった
  • 創業当時の値段は、市内通話が年額40円(東京)、市外通話が5分15銭だった

交換手を経由するしくみは、今の電話自動音声案内システムに通じるところがありますね。
ちなみに、日本の電話交換機が自動式になったのは1926年(大正15年)だと言われています。

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