8月21日は女子大生の日です。1913年(大正2年)のこの日、日本初の女子大生となる3人の入学試験合格が官報で告示されたことに由来します。
入学先の大学は「門戸開放」の理念を掲げていた東北帝国大学(今の東北大学)。当時の日本の大学は、旧制高校を卒業した男子学生のためのものであり、それまで正規の学生身分で女性が入学することは考えられなかったそうです。
毎年この時期には、東北大学によるイベント(女子大生の日を記念したオープンキャンバスなど)が開催されています。
今回は日本初の女子大生となった黒田チカ、牧田らく、丹下ウメの3人について、クイズを交えながら紹介していきます。さっそく参ります!
【黒田チカ】野菜の皮で特許取得!?
黒田チカは29歳で東北帝国大学に入学します。それまでは東京女子高等師範学校(今のお茶の水女子大学)で助教授を務めていました。
大学では有機化学の研究に没頭。卒業して日本初の女性理学士になると、その後も研究を続け、1929年(昭和4年)の「紅花の色素カーサミンの研究」によって、日本で2人目の女性理学博士となりました(1人目は保井コノ)。
さて、ここでクイズです。黒田チカは「ある野菜」の外皮から高血圧治療薬を創製し、1953年に特許を取得しています。では「ある野菜」とは次のうちどれでしょう?
- タマネギ
- トマト
- ピーマン
答え
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正解は「1.タマネギ」です。研究の中でタマネギ外皮に含まれるケルセチンに、血圧降下の効用があることに気づいた黒田は錠剤を試作。1953年12月に特許を取得し、その後日米薬品株式会社から高血圧予防治療薬「ケルチンC」として発売しました。
ちなみに1964年には、NHKによって黒田を主人公とするドラマ『たまねぎおばさん』が制作されています。黒田チカ役を演じたのは市原悦子さんだったそうです。
【牧田らく】結婚相手の職業は?
牧田らくは24歳で東北帝国大学に入学。それまでは東京女子高等師範学校で嘱託教員を務めていました。
1916年(大正5年)5月に大学を卒業し、日本初の数学科女性理学士になると、大学院に在籍しながら母校に数学講師として復帰します。
では、ここでクイズです。1919年、牧田は金山平三(かなやま へいぞう)という男性と出会い結婚するのですが、金山のしていた仕事は次のうちどれでしょう?
- 軍人
- 画家
- パイロット
答え
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正解は「2.画家」です。牧田が結婚した金山平三は、当時将来を嘱望されていた洋画家でした。
結婚と同じ年、牧田は東京女子高等師範学校の教授に就任しますが、その年のうちに退職。研究者・教育者であることと、画家の妻であることの両立に限界を感じていたようです。
牧田は退職後も研究活動を続けましたが、後半生は「孤高の画家」となった金山を支える日々を送っています。金山は1935年ごろの美術界への政治介入を転機に、中央画壇と一定の距離を保ち、孤高の道を歩んだそうです。
【丹下ウメ】「理研の三太郎」のもとで研究
丹下ウメの大学入学時の年齢は40歳。それまでは日本女子大学校(今の日本女子大学)で助手を務めていました。
大学では有機化学を専攻し、大学院進学・応用科学教室助手を経て、アメリカに留学。帰国後はビタミンの研究に励み、農学博士となっています。
それでは最終問題です。アメリカから帰国した丹下は「理研の三太郎」のうちの1人のもとで研究を行ないました。その人物とは誰でしょう? 次の3人からお選びください。
- 長岡半太郎(ながおか はんたろう)
- 本田光太郎(ほんだ こうたろう)
- 鈴木梅太郎(すずき うめたろう)
答え
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正解は「3.鈴木梅太郎」。鈴木はビタミンB1(オリザニン)の発見で知られる農芸化学者です。
丹下は鈴木のもとでビタミンB2複合体の研究に励み、1940年(昭和15年)に東京帝国大学(今の東京大学)から農学博士の学位を授与されました。
▲丹下ウメ via Wikimedia Commons 朝日新聞社『アサヒグラフ』1948年7月28日号 public domain(画像をトリミングしています)
なお、誤答選択肢「1.長岡半太郎」は、日本物理学の発展の基礎を築いた物理学者。「2.本田光太郎」は、KS鋼・新KS鋼という強力磁石鋼を発明した物理学者・金属工学者です。
鈴木梅太郎を含めたこの3人は、理化学研究所の主任研究員として活躍したことから「理研の三太郎」と呼ばれています。
【まとめ】受験したのは4名だった
最後までご覧いただきありがとうございます。おさらいとして、今回の答えをまとめておきますね。あなたは何問正解できましたか?
- 黒田チカは「タマネギ」の外皮から高血圧治療薬を創製し、特許を取得した
- 牧田らくは大学卒業後、「画家」の金山平三と結婚した
- 丹下ウメは「鈴木梅太郎」の下でビタミンの研究に励み、農学博士となった
黒田チカは、大学受験にあたり「きわめて心配の点が多かったが、勇気をふり起こし受験した」と回想を残しています。
また、ページ内で紹介した3名に加え「江澤駒路」という女性も、同じ年に東北帝国大学を受験しています。4人の勇気に感服です。
参考URL
- 一般社団法人 日本記念日協会
- 【Web開催】女子大生の日記念 TUMUGオープンキャンパス(8/19開催) – 東北大学
- 日本初の女子学生誕生 – 国立研究開発法人 科学技術振興機構(アーカイブ)
- 数字に見る東北大学 – 東北大学萩友会(しゅうゆうかい)
- 女子学生の歴史(アーカイブ) – 東北大学 女子学生入学百周年記念事業
- 東北大学特設サイト 日本初・女子大生誕生の地
- 堀勇治『認定科学遺産 第019号 女性科学者のさきがけ 黒田チカの天然色素研究関連資料』 – 公益財団法人 日本化学会(PDF)
- 展覧会[金山平三記念室] – 兵庫県立美術館
- 第1章 理化学研究所の誕生と軌跡 – 理化学研究所(PDF)