アパート記念日(11月6日)01

11月6日は「アパート記念日」です。
1910年(明治43年)のこの日、現在の東京・上野公園不忍池のほとりに、日本で初めての木造アパートメントハウス「上野倶楽部」が完成しました。

今回はそんな「アパート記念日」にちなんで、日本初のアパート「上野倶楽部」の様子や、上野倶楽部に住んでいた昭和を代表する詩人について、さらには、アパートに関する雑学クイズを紹介します!


「上野倶楽部」はどんなアパート?

1919年頃の上野公園01
▲1919年頃の上野公園 via Wikimedia Commons San Diego Air and Space Museum Archive public domain

「上野倶楽部」は木造5階建てで戸数は63戸。洋風の外観を持つ賃貸アパートです。各部屋に水道・ガスが通っていて、簡単な炊事ができるようになっていました。

共同設備としては、3か所の玄関のほか、各階に2か所ずつの便所・洗面所浴室がありました(入浴は居住者が実費で負担し、各室に至るまでは土足でした)。

また、玄関には3人の「事務員」がいて、電話の取次ぎ買い物をしてくれたほか、嘱託医も付いており、急病の際には30分以内に駆けつけてくれることになっていたんだとか。今でいうコンシェルジュ(フロント)サービス付きの高級マンションみたいですね。

どんな人が住んでいたの?

上野公園・不忍池(蓮池)01
▲現在の上野恩賜公園・不忍池(蓮池)

「上野倶楽部」に住んでいたうちの4割は独身者6割は有配偶者でした(独身者はいなかったという説もあり)。
職業の内訳は、官吏(現在の公務員)が大部分を占めており、次に多かったのが専門学校などの教員。ほかには銀行員学生もわずかに入居しており、日本人のほかロシア人フランス人もいたそうです。

また、アパートには「共同物の長時間使用は禁止」「廊下を挟んでの立話には注意」「門限は午後12時まで」といった細かい規則も存在していました。こちらは学生寮のルール(寮則)を彷彿とさせます。

ぼく(なごやっくす)ぼく(なごやっくす)

とくに「廊下を挟んでの立話には注意」の規則からは、昔の小説や映画の描写が頭に浮かんできてほっこりします。人によって思い出す作品はさまざまだと思いますが、僕はトルーマン・カポーティの小説『ティファニーで朝食を』の複数のシーンが頭に浮かんできました。オードリー・ヘプバーン主演で映画化もされたアレです!

詩人・西條八十も住んでいた!【かなりあ】

西條八十01
▲西條八十(さいじょう やそ・1892-1970)

上野倶楽部には、『かなりあ(かなりや)』『東京行進曲』『青い山脈』『王将』などで知られる、昭和を代表する詩人・作詞家の西條八十も住んでいました。

西條八十は1918年(大正7年)ごろに、家族を神田の家に残して、(八十によると)「だいぶ古くなった」上野倶楽部の4階で暮らしていたそう。
奥さんと生後5か月の長女が八十のもとを訪れたある日、八十が長女を抱いて上野東照宮を歩いていたときに、子供時代のクリスマスの記憶とともに『かなりあ』の詩が浮かんできたと言われています。

上野東照宮(金色殿・国指定重要文化財)01
▲上野東照宮「金色殿」(国指定重要文化財)。ちなみにカナリアは漢字で「金糸雀」と書きます
ぼく(なごやっくす)ぼく(なごやっくす)

現在、不忍池のほとりには、のちに童謡となった『かなりや』の歌碑が建っています(Googleマップ)。なお、上野倶楽部は1943年(昭和18年)に自火で焼失したとされています(築年数33年)。1923年の関東大震災での焼失・倒壊は免れたってことですね

【クイズ】手塚治虫が暮らしていた伝説のアパートの名前は?

手塚治虫が若い頃過ごした伝説のアパートは?(クイズ)01

最後に、アパートにちなんだ雑学クイズです。
手塚治虫をはじめとする、昭和を代表するマンガ家たちが若手時代に暮らした、伝説アパートの名前は何でしょう? 下の2つのうち、正しいと思うボタンをタップしてください。

ぼく(なごやっくす)ぼく(なごやっくす)

最後までご覧いただきありがとうございます。上野倶楽部の家賃が気になるところですが、今回は「これだ!」という資料にたどり着くことはできませんでした(おそらく高かったのでしょうが)。図書館などで良い文献にあたることができた際には、また追加しますね!

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