7月30日はプロレス記念日。1953年(昭和28年)のこの日に、力道山が日本プロレスリング協会の結成披露を行なったことに由来します。
今回は、そんな「日本プロレス界の父」である力道山に関する4択クイズです。
【問題】
力道山がプロレス転身前に、本格的に行なっていたスポーツは次のうちどれでしょう?
- アマチュアレスリング
- 柔道
- 大相撲
- プロボクシング
【答え】力道山のプロレス転身前
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正解は「3.大相撲」です。
15歳で二所ノ関部屋に入門した力道山は、関脇まで昇進しながらも1950年(昭和25年)に引退。建設会社への勤務を経て、プロレスラーに転身しました。
ちなみに「ミスター・プロレス」の異名をとる天龍源一郎も、13歳で二所ノ関部屋に入門し、天龍の四股名で16場所在位しています。
さて、力道山はレスラーとして活躍するかたわら、後進の育成にも力を注いでいました。代表的な弟子には、ジャイアント馬場やアントニオ猪木が挙げられます。そこでもう1問。
【問題】
ジャイアント馬場がプロレス転身前に、本格的に行なっていたスポーツは次のうちどれでしょう?
- 野球
- サッカー
- バスケットボール
- バレーボール
【答え】ジャイアント馬場のプロレス転身前
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正解は「1.野球」。
ジャイアント馬場(馬場正平)は、プロ野球チーム・読売ジャイアンツのピッチャーでした。1957年(昭和32年)には一軍で3試合に登板し、0勝1敗、防御率1.29の成績を残しています。
中学入学時にはすでに身長が185cmあった馬場さん。高校でも野球をするつもりが、自分の足に合うスパイクが町の運動具店に売っておらず、はじめは仕方なく美術部に入ったというエピソードも存在します
さいごに|アントニオ猪木のスカウト
最後までご覧いただきありがとうございます。オマケでもう1問!
【問題】
アントニオ猪木は、ブラジルで「あるスポーツ」で活躍していたところが力道山の目に留まりスカウトされました。さて、そのスポーツとは次のうちどれでしょう?
- サッカー
- ブラジリアン柔術
- モータースポーツ
- 陸上競技
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正解は「4.陸上競技」。ジャイアント馬場とアントニオ猪木は、ともに1960年(昭和35年)9月30日に台東区体育館でデビュー戦を行ないました。
今回ご紹介したプロレス記念日とは別に、2月19日はプロレスの日とされています。日本初のプロレスの本格的な国際試合が行なわれたのが由来です
参考URL
- プロレス記念日|7月30日|Yahoo!きっず
- 天龍さんが語る“殿堂入り” 日本で活躍の外国人レスラーの殿堂はまずはシャープ兄弟と誰?|AERA dot.
- 力道山の妻が告白。ジャイアント馬場との意外な関係とそのエピソード|web Sportiva
- 力道山が刺された日。妻が聞いたアントニオ猪木を認める言葉と幻の計画|web Sportiva
- 馬場正平(読売ジャイアンツ)|NPB.jp 日本野球機構
- 「こんな大金見たことない」 ジャイアント馬場16歳《高校2年で中退して巨人入団》の真相と、知られざる球児時代|Number Web