8月17日はプロ野球ナイター記念日です。1948年(昭和23年)のこの日、日本プロ野球史上初の夜間の公式試合が、横浜ゲーリック球場(横浜スタジアム)で開催されました。
対戦カードは巨人-中日戦(読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ)。当時のポスターにはナイターではなく「ヨルの部」と書かれています。
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8月17日は、#プロ野球ナイター記念日 🌃
\1948年8月17日、横浜ゲーリック球場で、#プロ野球 初となるナイターの試合(#巨人 – #中日)が開催されたよ🏟️
これは、そのときのポスターだよ😉🎵⚾#野球殿堂博物館 #NPB #プロ野球 #野球 #giants #dragons #読売ジャイアンツ #中日ドラゴンズ #横浜 pic.twitter.com/5raCq0tVSW
— 野球殿堂博物館 (@BaseballHOF1959) August 16, 2021
初ナイターはハプニングの連続!
照明の明るさが現在の10分の1だったとも言われる初ナイターは、ハプニングの連続でした。いきなり初回、中日のピッチャー・星田次郎の投げたボールが見えず、巨人のバッター・青田昇の顔面付近に当たり、青田は担架で運ばれ退場。
試合終盤の8回には、巨人のバッター・川上哲治の打球が暗闇の右中間に飛んでいき、ホームランかエンタイトルツーベースかで大いに揉めました。
巨人のセカンドを守っていた千葉茂によると、外野には試合前の練習で拾い忘れたボールが3つも4つも転がっており、打球を追った外野手が面食らっていたそうです。
初ナイターは中日ドラゴンズの勝利
試合は3-2で中日の勝利。初回に担架で退場した青田昇は、この年全140試合に出場した記録が残っており、大事には至らなかったようです。
青田はこのシーズン、首位打者(.306)と本塁打王(25本。川上哲治と同数)の二冠に輝いています。
ちなみに、当時のプロ野球は1リーグ制で、この年の優勝チームは南海ホークス(今のソフトバンクホークス)。読売ジャイアンツは5ゲーム差の2位で、中日ドラゴンズは首位ホークスと34.5ゲーム差の最下位(8位)に終わっています。
チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
---|---|---|---|---|---|
南海 | 87 | 49 | 4 | .640 | – |
巨人 | 83 | 55 | 2 | .601 | 5.0 |
阪神 | 70 | 66 | 4 | .515 | 17.0 |
阪急 | 66 | 68 | 6 | .493 | 20.0 |
急映 | 59 | 70 | 11 | .457 | 24.5 |
大陽 | 61 | 74 | 5 | .452 | 25.5 |
金星 | 60 | 73 | 7 | .451 | 25.5 |
中日 | 52 | 83 | 5 | .385 | 34.5 |
※試合数は全球団140試合
【まとめ】試合開始は20時から
最後までご覧いただきありがとうございます。今回の内容をまとめておきますね。
- 8月17日は、プロ野球公式戦初のナイターが開催された「プロ野球ナイター記念日」
- 当時の照明の明るさは、現在の10分の1だったとも言われている
- 照明のせいか、顔面付近に死球を受けた選手が退場したり、ホームランかどうかで揉めたりとハプニングが続出した
記念すべき初ナイターの試合開始時間は午後8時8分。6時台の開始が多い現在と比べてかなり遅い時間です。
この理由には、アメリカでナイター経験のある、巨人・中島治康からの「夕暮れに照明を点灯すると、かえってボールが見づらい(だから完全に日が暮れてから試合をした方がよい)」という進言があったと言われています。
映画館の入場料40円のこの時代に、ナイターのチケット代は100円とかなり高め。それでも球場は「空前の超満員」で、観客席に入りきれず球場の外で観戦……ではなく、ファウルグランドで観戦(!)していた人もいたという証言が残されているそうです。
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参考URL
- プロ野球ナイター記念日 – 8月17日 – Yahoo!きっず今日は何の日
- 日本野球の歴史 – 野球殿堂博物館
- 日本野球選手権試合 横浜シリーズ – 野球殿堂博物館
- 【8月17日】1948年(昭23) “事件”続出プロ野球初のナイターは横浜で開催|スポニチアネックス(アーカイブ)
- プロ野球公式戦の初ナイターは米軍夜間照明設備を利用したもの。とにかく暗く、選手には災難だった|野球コラム – 週刊ベースボールONLINE
- 年度別成績 1948年|NPB.jp 日本野球機構