慶応4年(1868年)のこの日、新政府軍と旧幕府軍との戦い「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」が始まりました。名称はこの年の干支である「戊辰(つちのえたつ)」に由来します。
戊辰戦争の流れを簡単に見ていきましょう。

戊辰戦争ってなに?【わかりやすく】

戊辰戦争は1月3日に始まった「鳥羽・伏見の戦い」から、翌年5月18日に終結した「箱館戦争(五稜郭の戦い)」までの、日本各地で行われた一連の戦いをまとめて言った言葉です。
最終的には、新政府軍が旧幕府軍に勝利しました。
戦争中の出来事を細かく挙げればキリがありませんが、重要な戦いは下の4つにまとめることができます。

【歴史】戊辰戦争の大まかな流れ(経過)
  1. 鳥羽・伏見の戦い(1868年1月)
    新政府軍が勝利。旧幕府軍は江戸に逃げる
  2. 東京・上野戦争(1868年5月)
    また新政府軍が勝利。旧幕府軍は東北・北海道へ逃げる
  3. 会津戦争(1868年9月)
    新政府軍が「奥羽越列藩同盟」に勝利。新政府軍はさらに北上
  4. 箱館戦争[五稜郭の戦い](1869年5月)
    旧幕府軍の榎本武揚らが降伏し、戊辰戦争が終結
戊辰戦争の大まかな流れ(歴史)イラスト01
▲戊辰戦争の大まかな流れ。矢印の順に、新政府軍が旧幕府軍を追い詰めていくイメージです

大まかな流れを掴んだら、それぞれの戦いについて、少しずつ確認していきましょう。より理解が深まりますからね!

鳥羽・伏見の戦い

徳川慶喜による大政奉還のあと、大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視らにより「王政復古の大号令」が出されました。しかし、旧幕府側の勢力はまだまだ健在だったため、新政府側(薩摩藩など)が旧幕府側を巧みに挑発します。これらをきっかけとして起こったのが、戊辰戦争の始まりとなる鳥羽・伏見の戦いです。

昭皇斎国広『毛理嶋山官軍大勝利之図』
▲昭皇斎国広『毛理嶋山官軍大勝利之図』(一部)。鳥羽・伏見の戦いにおける新政府軍の勝利を描いています

鳥羽・伏見の戦いでは、旧幕府軍の兵力(約1万5000)が新政府軍の兵力(約5000)を上回っていましたが、朝廷が徳川慶喜を朝敵とみなしてにしき御旗みはたを掲げたことで、旧幕府軍の士気はガタ落ち。新政府軍が勝利し、旧幕府軍は江戸へ逃げていきました。江戸幕府が長く続いた時代でも、天皇を敵にすることは心苦しいことだったんですね。

東京・上野戦争(江戸城無血開城)

旧幕府軍が江戸へ向かったことで、江戸で大決戦が行なわれる可能性が高まりましたが、西郷隆盛と勝海舟という2人の英雄により、その最悪の事態は回避。1868年4月11日に江戸城の無血開城が行なわれ、江戸城が話し合いによって新政府軍へと引き渡されました。

結城泰明『江戸開城談判』(一部・聖徳記念館絵画館蔵)01
▲西郷隆盛(左)と勝海舟(右)。結城泰明『江戸開城談判』の一部です(聖徳記念館絵画館蔵)

とはいえ、旧幕府軍の主戦派は関東で抵抗を続けます。これが東京・上野戦争で、5月15日に新政府軍が彰義隊しょうぎたいを壊滅させ、関東の治安を回復するまで続きました。旧幕府軍はさらに北、東北や北海道へと向かいます。

会津戦争(白虎隊の悲劇)

東北では会津藩と庄内藩が「朝敵」扱いを受けており、諸藩はこれを許してほしいと新政府へ懇願。しかし、拒絶されたため軍事同盟奥羽越列藩同盟おううえつれっぱんどうめいを結成し、福島・会津地方を主戦場に新政府軍と戦うことになりました。これが会津戦争です。

月岡芳年『会津若松戦争之図』01
▲会津戦争の終局となった「会津城籠城戦」(月岡芳年『会津若松戦争之図』)

会津戦争では「白虎隊の悲劇」と呼ばれる悲しい出来事がありました。白虎隊は15歳から17歳の少年たちで結成された部隊だったのですが、ある日、飯盛山から見た城下町の火災を若松城の落城と勘違いし、お互いがお互いを刺して集団自決したのです。
戊辰戦争は、当時蝦夷地えぞちと呼ばれていた北海道までもつれこみます。

箱館戦争(五稜郭の戦い)

旧幕府軍の土方歳三(新撰組副長)や榎本武揚らは、函館の五稜郭に立てこもり、朝廷の下で北海道の支配を試みます。
しかし、新政府はこれを認めず箱館戦争(五稜郭の戦い)に突入し、最後は榎本武揚が降伏して、1869年5月18日に戊辰戦争が終結。鳥羽・伏見の戦いが始まってから約1年4か月後のことでした。

箱館五稜郭
▲現在の五稜郭。観光スポットとしても人気です

戊辰戦争の終結により旧幕府の体制は崩壊。明治政府による本格的な政治が始まっていくのです。「戊辰戦争」とひと口に言っても、おもな出来事を辿るだけで結構なボリュームになるんですね。

まとめ

最後までご覧いただきありがとうございます。
このページの要点をまとめました。

  • 戊辰戦争は1868年から翌年まで約1年4ヶ月にわたって続いた、新政府軍と旧幕府軍との戦い
  • 大まかに「鳥羽・伏見の戦い→東京・上野戦争→会津戦争→箱館戦争(五稜郭の戦い)」の順番で戦争が進んだ
  • 最後は榎本武揚らの降伏により新政府軍が勝利し、明治政府による本格的な政治がスタートした

私たちは新政府軍が勝利した世界に生きているので、ついつい「新政府軍が正義で、旧幕府軍が悪」というレッテルを貼ってしまいがち。
ですが、どちらの軍にも国のことを考え、命を懸けて行動した人たちが沢山いるはずなんですよね。相手の立場から見た「正義」とは何かを考えることが、平和への道筋をつなげてくれるかもしれません。

ぼく(なごやっくす)ぼく(なごやっくす)

ちなみに、戊辰戦争が始まった1868年は、慶応(4年)から明治(元年)へ改元された年でした。戊辰戦争が起こった時代や、続いた期間をなかなか覚えられない人が多いのは、戦いの数が多いのに加え、こうして改元を挟んでいるからかもしれませんね

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※ページ内で紹介しているのは歴史の一部・一解釈です。さまざまな文献・資料にあたることをおすすめします

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