11月24日は「鰹節の日」です。
かつおぶしのトップメーカーで、鍋つゆ・めんつゆでもおなじみのヤマキ株式会社(愛媛県伊予市)によって制定されました。

日付の由来は「いい(11)ふ(2)し(4)= いい節」の語呂合わせから。
かつお節の魅力や美味しさ、上手な使い方などを多くの人に知ってもらうのが目的で、この時期にはX(Twitter)でのキャンペーンなどが行なわれます。


鰹節の歴史は?

起源

カツオ自体は古くから日本人の食用となっており、縄文時代前期・中期の大規模な集落である「一王寺遺跡」(青森県八戸市)からは、カツオやマグロなどの魚の骨が多数出土しています。

是川遺跡復元施設
▲是川遺跡復元施設。一王寺遺跡は是川遺跡の一部にあたります via Wikimedia Commons Ty19080914 CC BY-SA 4.0(画像をトリミングしています)

また、日本の古い文献では天平宝字元年(757年)に施行された「養老令」の注釈書(令集解)に「煮堅魚にかたうお」などの名前が見られます。
煮堅魚は現在の鰹節の原形ともいえる、カツオを煮てから干したもので、各地の産物を納めさせる(租庸調の)調として指定されていました。

ぼく(なごやっくす)ぼく(なごやっくす)

「是川石器時代遺跡」を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、令和3年(2021年)7月27日に世界遺産(世界文化遺産)に登録されています!

中世~江戸時代

「花鰹」の文字が初めて登場した文献は、室町時代中期の料理書『四条流庖丁書』です。
クラゲの和え物のところで花鰹を加える記述が見られ、当時から花鰹が活用されていた様子が窺えます。

花鰹(削り節)
▲花鰹。鰹節を花びらのように薄く細かく削ったものを指します

戦国時代には、梅干しとともに携帯しやすい兵食として広がり、名前の語呂「勝男武士」とも相まって、縁起の良い貴重な食材としての地位を確立したようです。
徳川家康に仕えて戦功をあげた大久保彦左衛門(大久保忠教)は、著作『三河物語』の中で「鰹節の上皮を削って帯にはさみ、戦の前やひもじいときに噛めばことのほか力になる」と記しています。

大久保彦左衛門
▲たらいに乗っているのが大久保彦左衛門(月岡芳年『新撰東錦絵 大久保彦左衛門盥登城之図』)via Wikimedia Commons Public domain

燻乾法の考案~現在

現在の鰹節と同様のものが作られるようになったのは、1600年代の終わりごろです。
紀州印南(和歌山県印南町)出身の漁民・角屋甚太郎が、煙で燻して乾燥させる「燻乾法」や、青カビをつけて日光乾燥を繰り返す「燻乾カビ付け製法」を土佐で考案しました。

印南港と印南の街並み01
▲印南港と印南の街並み via Wikimedia Commons shikabane taro CC BY 3.0(画像をトリミングしています)

甚太郎の製法は、同じく印南漁民である森弥兵衛と印南與一(土佐與一)によって枕崎、房総、伊豆に伝授され、その後日本各地に広がっていきました。
令和4年における国内産の鰹節生産量は年間2万5千トン弱で、そのうちの約72%を鹿児島県、残りのほとんど(約27%)を静岡県で生産しています。中でも鹿児島県枕崎市は、全国の約5割の鰹節を生産していることで有名です。

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参考URL・参考書籍

▲枕崎産の鰹節。カビ付け・日干を4回以上繰り返して完成するものが「本枯節」です